現代サッカーにおいて世界最高のミッドフィルダー(MF)と称される、ケヴィン・デ・ブライネ選手。その卓越したパスセンスや強烈なミドルシュートで、世界中のサッカーファンを魅了し続けています。彼のプレーに注目が集まる一方で、「デブライネの背番号って何番だっけ?」と気になる方も多いのではないでしょうか。
特に、所属するマンチェスター・シティで長年背負っている「17番」は、今や彼の代名詞ともいえる番号です。しかし、ベルギー代表や過去に在籍したクラブでは異なる番号を着用していました。この記事では、デブライネ選手の輝かしいキャリアを「背番号」という視点から深掘りし、それぞれの番号に込められたストーリーや、その番号を背負って成し遂げた偉業の数々を、サッカーに詳しくない方にも分かりやすく解説していきます。これを読めば、デブライネ選手のプレーをより一層楽しめるようになるはずです。
デブライネの背番号、現在の「17番」に隠された意味とは?

デブライネ選手と聞いて、多くのファンが真っ先に思い浮かべるのが、マンチェスター・シティで背負う「17番」ではないでしょうか。エースナンバーとされる「10番」や「7番」ではないこの番号は、今や彼の象徴となっています。この章では、彼がなぜ17番を選んだのか、そしてその番号と共にどのような輝かしい歴史を築き上げてきたのかを詳しく見ていきましょう。
マンチェスター・シティでの象徴「17番」
デブライネ選手は、2015年にマンチェスター・シティに加入して以来、一貫して背番号「17」を着用し続けています。 移籍当初からチームの中心選手として活躍し、その背番号はすぐにファンの間で定着しました。彼の驚異的なアシスト能力や決定的なゴールは、常にこの「17番」と共にありました。
なぜデブライネは17番を選んだのか?その理由に迫る
デブライネ選手がマンチェスター・シティで「17番」を選んだ明確な理由は、実は公に語られていません。しかし、いくつかの状況からその背景を推測することができます。
彼が加入した2015年当時、エースナンバーである「7番」は、同じくその年に加入したラヒーム・スターリング選手が着用していました。 もしデブライネ選手の加入が少し早ければ、ベルギー代表で慣れ親しんだ7番を選んでいた可能性もあったかもしれません。
結果的に空いていた番号の中から「17番」を選んだとされていますが、今となっては彼自身の活躍によって「17番」が特別な価値を持つ番号になったと言えるでしょう。彼のプレーは、背番号が選手の価値を決めるのではなく、選手が背番号の価値を高めることを証明しています。
17番を背負って達成した偉大な記録の数々
デブライネ選手が「17番」を背負って打ち立てた記録は、まさに圧巻の一言です。特に有名なのが、その驚異的なアシスト数です。
2019-20シーズンには、プレミアリーグでシーズン20アシストを記録し、ティエリ・アンリ氏が持っていたシーズン最多アシスト記録に並びました。 これは、彼の視野の広さとパス精度の高さを象徴する大記録です。
マンチェスター・シティでのプレミアリーグアシスト数
| シーズン | アシスト数 |
|---|---|
| 2015-16 | 9 |
| 2016-17 | 18 |
| 2017-18 | 16 |
| 2019-20 | 20 |
| 2022-23 | 16 |
2023年シーズン終了時点の情報
このほかにも、PFA(イングランドプロサッカー選手協会)年間最優秀選手賞を2度受賞するなど、個人としても数々の栄誉に輝いています。 「17番」は、デブライネ選手にとって、そしてマンチェスター・シティのファンにとって、数々の栄光の記憶が刻まれた特別な番号なのです。
デブライネの歴代クラブでの背番号の変遷を辿る

マンチェスター・シティでの「17番」のイメージが強いデブライネ選手ですが、プロキャリアを通じて様々な背番号を背負ってきました。若き日の彼がそれぞれのクラブでどのような番号を付け、才能を開花させていったのか、その足跡を辿ってみましょう。
プロデビューの地、ヘンクでの始まり
デブライネ選手のプロキャリアは、母国ベルギーのクラブ、KRCヘンクで始まりました。2008年にトップチームに昇格し、当初は「7番」を付けたシーズンもありましたが、主に「14番」を背負ってプレーしていました。
17歳でデビューを飾ると、その才能はすぐに開花。 若き司令塔としてチームを牽引し、2010-11シーズンにはリーグ優勝を経験します。 このヘンクでの活躍が、のちにビッグクラブへとステップアップしていくための重要な土台となりました。キャリアの原点ともいえるこのクラブで、彼は「14番」と共にプロサッカー選手としての第一歩を力強く踏み出したのです。
チェルシーとブレーメンでの若き日々
ヘンクでの目覚ましい活躍により、2012年にイングランドの強豪チェルシーFCへ移籍します。 ここで彼に与えられた背番号は「15番」でした。 しかし、当時のチェルシーはスター選手がひしめくタレント軍団。出場機会に恵まれず、レンタル移籍(一時的に他のチームへ移籍すること)を経験することになります。
レンタル先となったのは、ドイツ・ブンデスリーガのヴェルダー・ブレーメンです。ここで彼は「6番」を着用。 守備的なMFが付けることが多いこの番号を背負いながらも、攻撃的MFとして躍動し、10ゴール10アシストという素晴らしい結果を残しました。 このブレーメンでの成功が、彼の評価を再び高めるきっかけとなりました。
ヴォルフスブルクで才能が開花した時代の背番号
チェルシーでは定位置を確保できなかったデブライネ選手ですが、2014年にドイツのVfLヴォルフスブルクへ完全移籍すると、その才能が一気に爆発します。 背番号は、ヘンク時代にも背負った「14番」でした。
この大活躍でヴォルフスブルクをリーグ2位に導き、自身はドイツ年間最優秀選手に選出されました。 この「14番」時代は、彼が世界トップクラスのプレーヤーへと飛躍を遂げた、非常に重要な時期と言えるでしょう。
ベルギー代表でのデブライネの背番号とその役割
クラブでの活躍はもちろんのこと、デブライネ選手はベルギー代表でも欠かすことのできない中心選手です。「赤い悪魔」の愛称で知られる強豪国で、彼はどのような背番号を背負い、チームを牽引してきたのでしょうか。
代表デビューから定着までの背番号
デブライネ選手がベルギー代表にデビューしたのは2010年のこと。 キャリアの初期には、「14番」や「15番」といった番号を付けることもありました。 しかし、2014年のFIFAワールドカップ予選あたりからレギュラーに定着すると、彼の背中にはひとつの番号が輝くようになります。
それが、攻撃的な選手やチームの中心選手が背負うことの多い「7番」です。 若い頃からその才能を高く評価されていた彼が、代表チームでも中心的な役割を担うようになったことを象徴しています。
エースナンバー「7番」を背負う意味
サッカーにおいて「7番」は、伝統的にチームの攻撃を牽引するウインガーやミッドフィルダーが付けることが多く、特別な意味を持つエースナンバーの一つです。デブライネ選手がこの「7番」を背負うことは、彼がベルギー代表の攻撃の絶対的な司令塔であることを示しています。
彼の正確無比なパスは、ロメル・ルカク選手などの強力なフォワード(FW)への絶好のチャンスを演出し、ベルギー代表の大きな得点源となっています。また、キャプテンのエデン・アザール選手(主に10番)と共に、チームの攻撃陣をリードしてきました。 クラブでの「17番」とはまた違う、「7番」のデブライネは代表チームの顔としての責任と誇りを背負っているのです。
ワールドカップやEUROで輝いた背番号の記憶
「7番」を背負ったデブライネ選手は、数々の国際舞台でベルギー代表を躍進させてきました。特に記憶に新しいのが、2018年のFIFAワールドカップ・ロシア大会です。この大会でベルギー代表は、日本代表とも激闘を繰り広げ、史上最高位となる3位に輝きました。デブライネ選手は中盤の核としてチームを牽引し、歴史的快挙の立役者となりました。
その後も、EURO(UEFA欧州選手権)やFIFAワールドカップ・カタール2022など、主要な国際大会では常に「7番」を背負い、世界中の強豪国と渡り合ってきました。 彼の背負う7番は、ベルギー国民の期待と、世界のサッカーファンからの称賛が詰まった番号と言えるでしょう。
デブライネと背番号にまつわる興味深いエピソード

選手の象徴ともいえる背番号には、様々なストーリーやこだわりが隠されていることがあります。ここでは、デブライネ選手と彼の背番号にまつわる、少し違った角度からの情報やエピソードをご紹介します。
背番号へのこだわりや哲学
デブライネ選手自身が背番号について多くを語ることはありませんが、彼のキャリアを振り返ると、特定の番号に固執するタイプではないことが伺えます。 クラブの状況に応じて与えられた番号を受け入れ、その番号の価値を自らのプレーで高めてきました。
マンチェスター・シティで長年「17番」を付けているのも、強いこだわりというよりは、加入時の状況と、その後の自身の活躍によって自然と定着した結果と言えるかもしれません。 しかし、今では「デ・ブライネ=17番」というイメージが完全に確立されており、彼自身もこの番号に愛着を持っていることでしょう。 彼の姿勢は、どの番号であっても最高のパフォーマンスを発揮するというプロフェッショナルな哲学を感じさせます。
ファンにとっての「デブライネの17番」
ファンにとって、選手の背番号は特別な意味を持ちます。デブライネ選手の「17番」のユニフォームは、マンチェスター・シティのファンにとって最も人気のある商品の一つです。スタジアムでは、老若男女問わず多くのサポーターが「DE BRUYNE 17」のユニフォームを身にまとって声援を送っています。
一般的にエースナンバーとは言えない「17番」がこれほどまでに愛されているのは、ひとえにデブライネ選手の圧倒的なパフォーマンスとチームへの貢献度の高さによるものです。 ファンにとって彼の「17番」は、勝利の象徴であり、クラブの誇りそのものなのです。
他の有名選手が背負った「17番」
サッカー界全体を見渡すと、「17番」を背負って活躍した名選手は他にも存在します。例えば、元クロアチア代表のFWマリオ・マンジュキッチ選手や、元スロバキア代表MFのマレク・ハムシーク選手などが知られています。
また、ベルギー代表のチームメイトであるエデン・アザール選手も、チェルシー時代に「17番」を付けていた時期がありました。デブライネ選手が世界最高の選手の一人として「17番」を背負い続けたことで、この番号のイメージは大きく向上したと言えるでしょう。 かつては特別な意味合いが薄かった番号も、デブライネ選手のようなスター選手の活躍によって、新たな価値を持つことがあるのです。
まとめ:デブライネの背番号が物語るサッカー人生

この記事では、世界最高のミッドフィルダー、ケヴィン・デ・ブライネ選手のキャリアを「背番号」という切り口で詳しく解説してきました。
- マンチェスター・シティでは、加入以来一貫して「17番」を背負い、クラブの象徴として数々のタイトル獲得に貢献してきました。
- ベルギー代表では、攻撃の司令塔としてエースナンバーの「7番」を着用し、チームを世界の強豪へと押し上げました。
- プロキャリアの初期には、ヘンクやヴォルフスブルクで「14番」、ブレーメンで「6番」、チェルシーで「15番」を付けるなど、様々な番号を経験しています。
それぞれの背番号は、彼のサッカー人生の各ステージを象徴しています。若き日の挑戦、才能の開花、そして世界のトッププレーヤーとしての地位確立。デブライネ選手の背番号の変遷は、まさに彼の成長と栄光の物語そのものです。次に彼のプレーを見るときは、ぜひその背中に輝く番号にも注目してみてください。そこには、彼の歩んできた輝かしい道のりが刻まれているのです。



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